おいしさは、味と香りと食感で、できていると言われています。

たとえば、おいしそうな香りが漂えば、食欲が湧きますよね…。また、香りは記憶とセットされているそうです。

朝、目が覚めると、台所からトントントンと包丁でネギをきざむ音…かつお節の匂い…たまごやきの匂いがする…という

体験をもつ人は、かつお節の香りを感じるたび、あの朝の心地よい目覚めが蘇るというわけです。

記憶とセットされているという点で、食に関する幼少期の体験は本当に大切だと感じます。

便利だから失うもの。

現代の食生活は、飽食の時代といわれるほど、豊かで便利なものになっています。

外食、持ち帰りの弁当、インスタント食品が市場にあふれ、調理に時間をかけず手軽に食事を済ませる食生活の傾向が増えています。

この傾向で寂しいのは、食事を作っている人の姿が見えない、調理する過程での匂いを感じない…。

そして、「この味付け、おいしいね!」「この人参、甘いね!」という、同じものを食べて会話する共通体験ができない…というところです。

しかし、これらの寂しさは、私の勤めていた保育園では、すべてクリアされていました。

家庭的な雰囲気で過ごす保育を大切にしていたので、2歳児~5歳児までの20人前後の縦割りグループで食事をしていました。

「給食」という言葉は「食事」と呼び、「給食室」という言葉は「台所」と呼ぶように、ごく自然になりました。

きっと、家庭的な雰囲気がそうさせたのでしょう…。

特別なことでなくていい。

保育園で子どもたちは、台所で食事を作っている人の姿が見え「今日のごはん何!?」と会話ができます。

お昼近くになると、調理されている食材のいい匂いが、保育園中に漂う…。

グループという小さな家庭で「お肉、おいしい!!」「おかわりくださーい!!」とみんなで同じものを食べ、会話が弾みます。

現代では、孤食(一人で食事をすること)、個食(家族がそれぞれに、好きなものを食べること)、などの言葉を耳にするようになりました。

幼児期から食べることが、とりあえず空腹が満たされるだけのもの…では胸が痛みます…。

子どもにとって特別な食体験でなく、日常での小さな食体験でいいと思うのです。

私の場合、幼児期の香りと記憶がセットされている体験は、夏休みラジオ体操へ行ってから、朝食の食パンを買いに行くのが私の役割でした。

今でも、食パンの焼ける香りがすると、ラジオ体操に行ったこと、食パンを買いに行ったこと、その食パンを家族で食べたこと…が蘇ります。

ちなみに、夏休みに豪華な食事をした思い出などは、全くありませんが…(笑)

空腹を満たすためだけの食事ではなく、子どもたちが食べる喜びや楽しさを、日常の小さな食体験で味わい、誰かと繋がっていることを感じてほしいと願います。