私(みえ先生)が保育士時代、子どもがお茶碗のご飯を、ひと粒残さずキレイに食べる姿は当たり前の習慣でした。
私自身も幼少の頃から、そうして食べてきたし、保育園の子どもたちも自分でお茶碗のご飯粒をキレイに集めて食べていました。また、それが難しい2,3歳の子どもだと「先生、キレイキレイして!」とお茶碗を差し出し、お願いしてくれました。 これも可愛い姿です。
そんな私の日常で、ビックリしたことがありました。
ある日、友人とご飯を食べに行きました。先に食べ終えた友人の茶碗を見ると、ご飯粒だらけ…目を疑いました。そして、私が茶碗のご飯粒をキレイに集めて食べている姿を見てこう言うのです。「育ちがいいねぇー」と。
「はぁ!?育ち?これはフツーのことでしょう?」と私の心の声。まだ、若かったので返す言葉もなく苦笑いする私でした。
いろんな価値観があり、食べ方は自由!と言われればそれまでです。でも、私の価値観では友人の食べ方は嫌ですね…。
子どもは大人の姿を見ています
私より年上の友人でしたので、「ご飯粒を残したら目が潰れる」という言葉を聞いたことがないのかなぁ…としみじみ思いました。
また、「米を食べるためには、八十八もの手間がかかる」と言われますが、米ひと粒には、たくさんの人や自然の心が込められています。
「米は天照大御神の目」「ご飯粒を残す人は出世しない」など諸説がありますが、お米に神様が宿っていると考えたり、お米を作る人が込める心を考えたりできない人は、何においても思いやりのない人ではないか…と友人に思ってしまいました。これも、私の価値観ですが…。
昔、祖母が茶碗に残っているご飯粒をきれいに食べられるように、茶碗にお茶を注いで、そこに塩昆布を入れて最後まで、きれいにご飯粒を食べていました。また、それがとても美味しそうでした。
いつも祖母のお茶碗はピカピカで、幼心に “きれいやなぁ~” と思っていました。友人から「育ちがいいねぇー」と言われると、厳格な家庭で育ったように聞こえますが、そうではなく、子どもの頃からフツーに、ご飯粒ひと粒、ひと粒を大切にする大人の姿を見て育った…とは言えますね…。
一緒に食べる人で変わるものは!?
あるテレビ番組でキャイーンの天野さんがこう言ってました。「彼女と食事した時に注意を受けました。ボク食べる時にくちゃくちゃ音を立てて食べていたんですよ。自分では気づいてなくて、言ってもらって初めてわかりました。」と。
天野さんって素直でいい方だなぁ…と感じました。その後、きっとお2人で楽しい食事の時間を築かれただろうなぁ…と思いました。
食事は一緒に食べる人で、楽しさや美味しさが変わります。ちなみに、私は茶碗にご飯粒をたくさん残した友人とは、それっきり食事をすることはありませんでした。(笑)
どんなに美味しい料理を一緒に食べても、食事のマナーが欠けることで人が不快になることは少なくないと思います。
みえハウスの子どもたちにも、食事のマナーを伝えることを大切にしていきます。そして、お米や野菜を作っている農家の人、料理を作ってくれるおうちの人、などへの感謝の気持ちを伝えながら、楽しく美味しい時間を過ごしていこう!!と思います。