食前に「いただきます」と言って食べることは、保育園や小学校などの集団生活の中では必ずする挨拶です。

食育として大切な言葉ですし、集団の場に限らず「いただきます」「ごちそうさま」の挨拶は食べ物や作ってくれた人などに対して言うべき感謝の言葉です。

以前あるテレビ番組で楽屋にいるタレントが、ひとりでお弁当を食べる時に「いただきます」を言って食べるかを検証するコーナーがありました。言って食べる人、言わないで食べる人、それぞれでした。

第三者的には単に面白おかしく見られるのですが、もし自分だったらちゃんと「いただきます」が言えているか⁉とハッとしたのを覚えています。

忘れてはならない意味は⁉

子どもに「いただきます」の意味を伝えることは難しいことですが、これも大切な食育です。

動物や植物がなかったら人間は生きていけません。これらの命をいただいているから人間は生きていけるのです。

特に動物の場合は殺して食べるわけですから、子どもへの伝え方は難しいです。

子どもに動物の命の奪い方を具体的に話したり、ニワトリで体験させたりする“命の教育”がありますが、私は抵抗があります。

私も肉や魚の命をいただいて生きているので、キレイごとだと言われるかもしれません。

でも、感受性の強い子どもにはとてもショックです。

子どもが自然に学び、現実を受け入れられる年齢までは、大人が食べ物を粗末にしない姿勢を見せたり、大切にすることを伝えたりしていくことで十分に感じます。

「いただく」と言う言葉は「食べる」をていねいに言う言葉です。これは謙譲語であり、お供え物を食べたり、目上の人から物を受け取った時に「いただき(頭の上)」に掲げられたりしたことから「いただきます」の意味があります。

ですので、人間の命になる動物や植物には「あなたの命をいただき、私の命に代えさせていただきます。」と敬意を払わなければなりません。

この気持ちを大人が忘れずに子どもに関わることが、食べ物を粗末にしない姿勢に繋がるのではないでしょうか…。

豊かなゆえに問われること…。

私は、子どもが魚を食べない時「魚さん悲しむよ…。」と言葉がけたり、肉を拒んだ時「鶏さんのお肉だよ。鶏さんは“ボクを食べて大きくなってね!”って言ってるよ」と言葉がけたりし、命をいただいていることを伝えました。

日本は豊かな国です。まだ食べられる食品が破棄される“食品ロス”が問題視されるぐらいです。

食べられることが当たり前になっていくと「いただきます」の言葉が消えたり、食べ残したり、いただいている動物や植物の命を無駄に奪っていることになってしまいます。

なんとも悲しいことです…。

ひとりで食事をする時でも、「いただきます」「ごちそうさま」と感謝の挨拶ができる大人でありたいです。また、そんな大人の姿勢は子どもにしっかり伝わると信じます。