駄菓子についてブログを書いていると、久しぶりに駄菓子屋さんに行きたいなぁ~と思ったスー先生です。
でも今は、地域の駄菓子屋さんは無くなってしまっています…。今、駄菓子が売っているのは、スーパー、お菓子のデパート、100均などでしょうか。
皆さんの住んでいる地域には、駄菓子屋さんはありますか?
東京のある駅前広場では、戦後100軒を超える駄菓子問屋があったそうです!その後70店になり、少子化などの影響で激減…。2004年の駅前再開発で問屋は取り壊され、高層ビルになりました。
それでも、そのビルの中で今でも駄菓子屋問屋として営業を続けている方がいます。「駄菓子も時代に合わせて変化している。懐かしい駄菓子を目当てに、店を訪れてくる人のために、できるところまで続けたい。」と言われています。
このような方の思いが、今も駄菓子が受け継がれている理由なのでしょうね。
人気だった駄菓子は…
少子化などに伴う時代の変化で、多くの駄菓子屋、駄菓子屋問屋が無くなり、人気だった駄菓子も姿を消しているようです。
ここからは、知っている世代と知らない世代に分かれるかもしれません(笑)
梅干をそのまま口に含んだような酸味が人気だった「元祖梅ジャム」、1994年発売「らあめんババァ」(名前が何ともいえません 笑)などは、需要が減ったり、原材料費の高騰、新型コロナウイルスにより供給安定ができなくなったことなどがあるようです。
新型コロナウイルスの影響は、駄菓子にも出ていたんですねぇ。逆に一度、販売を終えた駄菓子が再発売されるケースもあったようです。
ある企業で製造されていたポテトフライの駄菓子が販売終了となったものの、その駄菓子がなくなることが残念でもったいないと感じた製菓会社が、駄菓子を作る製造機を引き継ぎ再発売されました。
でも、こうした事業継承は、ほとんどなく今のままでは、日本の大事な文化である駄菓子や駄菓子屋さんが無くなってしまうと危機感を抱えています。
駄菓子が世界へ!!
そんな中、2019年8月「DAGASIで世界を笑顔にする会」が発足され「3月12日」を「だがしの日」としました。
被災地や障害者施設などに駄菓子を届ける活動を実施していて、今年は新型コロナウイルスの患者さんの対応に奔走した、医療関係者の方々にも駄菓子を贈ったそうです。
また国内だけでなく、フランスで日本文化のPRイベントにも参加し、簡易な駄菓子屋を出店。フランスの子どもたちに1ユーロ(日本円で約129円)で駄菓子を3個提供すると「こんなに買えるの!!」と大喜びしたそうです。
私たちの知らないところで駄菓子を継承しようと、活動していることを初めて知りました。そして、身近な駄菓子が世界の子どもたちにまで広がっていたんだと驚きました。
代表の方は「安い、おいしい、楽しいの三拍子がそろった駄菓子は貴重であり、その貴重な文化を守る活動をしていきたい。」「駄菓子は子どもたちを笑顔にする力がある。世界にも積極的に発信していきたい。」と言われています。
このブログを書きながら、改めて「駄菓子の魅力」「駄菓子の歴史」を感じました。
そして、これからも駄菓子が日本の文化として受け継がれて欲しい、今の子どもたちも駄菓子を通して笑顔になって欲しいと思いました。