阪神・淡路大震災から24年の時が経ちました。

私が震災にあったのは、若手保育士の頃…。保育園には徒歩通勤していたので、日が昇ってから保育園の様子を見に行きました。

保育園の建物は壊れていなかったものの、唖然としたのはピアノが倒れていたことです。

子どもたちのいない時間帯でよかった…と思いました。

幸い各家庭の子どもたちの無事は確認できたものの、この先…子どもたちを保育園で預かることが出来るのか…と不安になったのを覚えています。

電気はかろうじて通ったのですが、水とガスの目処が立たない…。子どもたちを預かっても食事を提供することが難しいのです。

でも、被災していても仕事に向き合う保護者の方々にとって、保育園の再開は待ち望むものでした。

保護者の方々の思いに少しでも、応えられるように震災から10日後に保育園は再開したのでした。

当たり前のことに感謝する

子どもたちを預かる上での課題は食事の提供…。

栄養士、保育士は力を合わせて、毎日園庭で炊き出しをして食事の提供をしました。

ご飯は、飯ごうで炊き、大きな鍋で汁物、おかずは丸干しやたくあんなど…質素なものでした。

でも、毎日あたたかいものが食べられることは有難い…と大人も子どもも肌で感じた経験です。

食事のたび、みんなで「おいしい、おいしい」と言って頂きました。誰一人、食事に対する不満など言わなかったなぁ…と振り返ります。

料理を作るのに、毎日が不便な状態でした。

水やガスのない生活なんて震災を経験するまで想像もしませんでした。

震災を通して、当たり前のことに感謝する…ということを実感しました。

震災を忘れない

園庭で炊き出しをしてから、24年…。

今でも私の勤めていた保育園では“震災を忘れない”という思いで、1月17日が近づくと炊き出しで昼食を作り、食べる日を設けています。子どもたちは野菜を洗ったり、切ったりなど、各年齢に応じた炊き出しの下準備をします。

その日の昼食メニューは、飯ごうで炊いたご飯、豚汁、丸干し、たくあんです。

そして保育士は、大きな地震が起きたことを子どもたちに伝え、なぜ炊き出しで昼食を作るのかを伝えます。

年月と共に、震災を語れる保育士も少なくなってきています。また、炊き出しで昼食を食べたところで、子どもたちに震災が伝わるの?という声を聞いたこともあります。

実際に震災を経験した人としていない人の温度差はあって当然です。

でも、震災を通して日々の食事が当たり前ではない…と伝えることは大切に思います。

家で家族と一緒に食べること、友達と給食を食べること、お腹いっぱい美味しいものを食べること…などが出来なくなれば、どんなに悲しいことかと…。

“震災を忘れない”と振り返りながらも、復興した神戸のあたたかい部屋で、ブログを書いている自分自身にも
今一度、言えることです…。

24年前、当たり前だったことが出来なくなった人が沢山います。

それを心にとめ、明日を迎えようと思います。